1993年に水琴窟コンサートを始めるようになってから、30回以上の公演をしています。
当初は演奏者のバックにただ水琴窟の音を増幅して流すのみでした。私と水琴窟がステージに上がって、見せるコンサートになったのは途中からのことです。
コンサートでは、ステージ用に作った移動型水琴窟(スペースサウンド)にマイクを直接入れて音を出すため、水琴窟の音は実にリアルです。
ステージにスペースサウンドをセットするときは、毎回その度に滴の落ち具合を、微妙に甕を傾けて調整しています。なぜなら、水滴を3箇所以上から落したいからです。そうすることで音に変化が生まれ、感動的に演奏と融合することが可能なのです。しかし、これが結構時間が掛かって大変。
ところがある日、ハッとひらめいたのです。そんなに大変な思いをしなくても、良い方法が分かったのです。
滴の落ちる表面を、予め3箇所以上にコブ状のものを加工しておけば良いのです。
2002年5月静岡県駿東郡長泉町 如来寺に水琴窟を製作するときのことです。
偶然、何日か前から水琴窟の様子を撮りたいとNHK静岡放送テレビが取材に訪れていました。
水琴窟の作り方を、くまなくカメラ撮りしたいとの事。今まで水琴窟を取材したくても、なかなかその中身を見せたがらない業者達に苦戦し、取材陣も今度こそはと期待していたようです。
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過去には様々な甕を試したのだが…
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カメの加工の様子(2002年頃)
この頃は、常滑の素焼きも使っていたのですが…徐々に決定的欠陥が分かってきた! -
甕の天井の6箇所以上から滴が落ちるように加工。これで様々な音階やランダムな‘間’が生み出される。
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〈水門加工・・水を操る?!この技を磨かねば、癒しの音は完成しない!〉甕は独自に設計企画した強度のある堅焼きもの以外は、使用しなくなった。(2010年以降)
私は早速先日ひらめいた作業に取り掛かりました。ひとつの甕の天井から、6箇所の滴を落すように手を加えたのです。
この技は革命だ!と思いました。我ながら素晴らしい出来具合。言葉では言い表せない音の変化、絶妙な滴たちの音芸術が繰り広げられているのです。
以前から私に力説していた、故日本の音研究所所長の中野之也氏(元NPO日本水琴窟フォーラム代表)が求めていた音は、まさにこの音たちだったに違いないのです。
よって、この如来寺以降の水琴窟作りでは、全てこの技法を取り入れることにしたのです。
日本の音研究所 故中野之也氏と自宅にて ⇑ (2011年5月頃)
そして後日の放映では、しっかりと私の技術が写っていました。
これで私の作る水琴窟は、確実にまた一歩前進したといえるでしょう。
今までは3箇所以上から滴を落すことは、設置にかなりの神経を注ぎ、納得のいく音を作るのには容易ではなかったのです。
しかしこれからの水琴窟作りは、意のままに絶妙な『間』や『音階』を作れるのですから、感無量です!
それだけ私にとって、この3箇所以上の滴というのは、重要な要素を持っているのです。
一筋の水が水門に注がれ、その水が甕の天井でいくつもの滴をつくり、不規則に落ちていくのです。
ひとつとして同じ音がない、いつまでも聴いていたい飽きのこない水琴窟の音とは、まさにここに到達するものではないかと考えています。
しかしながら『意のままに』と言っても、水琴窟のコンサートで、楽器の演奏に合せて『一滴の水琴音をピチョ―ン!』と任意に鳴らすことはできません。
つまり、太鼓などのようにタイミングよく鳴らすことは水琴窟では不可能でして、コントロールのできないタイムラグが水琴窟にあることが理解できると思います。
こだわりのCDを製作
そんな折、練馬区大泉の深井邸に水琴窟を作ることになりました。完成後は、この水琴窟を使って音を収録し、CDを製作する計画を立てました。数ある過去のCDに満足していなかったための、新たな挑戦です。
これには私はいつもより力を入れようと、甕の加工にたっぷりと時間を掛けた。給水量が微量ならば、コブの数だけ滴が落ちないことは分かっているので、できるだけ沢山の数のコブをつけたい。しかし、コブは水門の周囲のわずかな面積に限られているので、作業はかなり困難なこと。技術的には繊細で危険や健康被害も伴い、過酷でしかも半端ない集中力や勘だけが頼りの職人技が必要なのです!これをやると体力がドット奪われる。
それでも今回は、とりあえず6箇所から滴を落とすことに成功しました。
2002年11月、水琴窟が深井邸に完成しました。その後の録音が楽しみでした。
オリジナルCD<藤壺琴>
水琴窟の音のみ43分間収録
2,200円(税込) 2003.02販売開始
数ヵ月後、試聴版が送られてきてじっくり聴き、やはりこれはすごいと思いました。
過去のCDはスタジオへ水琴窟の甕を持ち込んでの録音が多く、マイクを甕の中に入れての収録でした。
当然鮮明できれいな音は望めますが、それはあくまでも甕の中の音であり、
私達が庭で聴くあの水琴窟の生音ではないので、たびたび誤解を生じる元になっていました。
と言うのは、甕の外の音は中の音と比べると音の伸び、つまり余韻は短いのです。
また、様々なからくりを使って音を良くしていたCDが多く、自然なものではないのです。
一度聴けばどんな風に録音されたかは、私には分かります。
しかし今回は、甕の中にマイクを入れないで、あえて外に出しての録音です。
だから、当然余韻の長さは短い、しかし逆に周りの空気間(騒音もある)が伝わり、
自然な状態で聴いている感じです。
ひとつの甕でこれだけの数の『音』と『間』にめぐり合うことがない、今までのCDになかったものです。
是非、このCDと他のものとを聴きくらべていただきたいものです。
2004.08