有限会社 田村造園

静岡東部・三島にて、庭と外構(エクステリア)に関わる全ての設計・施工・管理をいたします。
日本庭園の高度な技法【水琴窟(すいきんくつ)】は、全国各地・海外にも施工しています。

055-987-7534

【コラム】の記事

全国の同業者の皆様へ

近年の‛水琴窟マイスター 田村’による『水琴窟技術継承プロジェクト』
地震、樹木根対策を考えた水琴窟を薦めるなど、長年培った技術を同業者の人達とレクチャー作業で共有し、日本の美しい文化を未来につなげて行きます。

良い!ものづくりのためには?..

水琴窟は昭和の戦火の中で影をひそめてしまい、新たに作られることはなくなり、姿の見えない水琴窟は日本庭園から消えました・・。
昭和の後期になってからのこと、NHKの特番『幻の水おと』がきっかけとなり全国にその存在や“すいきんくつ”の名前が知れ渡ると、血が騒ぐように設計士や造園家が興味を示したのです。

私もその一人ですが、昔の水琴窟の資料というものは残されておらず、近年の作り手たちは手探りの試行錯誤で現在に至っています。残念ながらこの業界では横のつながりを持つことが無く、昔から秘伝としていたため、今行われている工法は様々です。その中身を明かす業者は今までなかったのです。

まさか現代では当時のような短命なものやひどい音質のものなどを作る業者はいないのでは?…と思いきや、これが予想外に多いため、将来が非常に不安になります。この美しい文化を二度と失わないために、私がプロジェクトを立ち上げなければと思ったわけです。

現在、水琴窟の多くが危機にさらされています!!

こんな!経験をしたのです…30年前に作られた静岡県川根本町の、ある施設自慢の水琴窟。ひとつの蹲踞の下に二個の甕が埋めてあり、それぞれの音質の違いが特徴の二連水琴窟です。その音が鳴らなくなってしまったということで、改修工事を依頼された時のことです。
のぞいてみると、水面が上の方に来ています。周りの役石を外して甕を見ると、ほんの少しの亀裂から樹木の毛根が入り込み、中で広がっていました。甕の周囲に栗石を積み上げているため、地震で甕に亀裂が入っていたのです。もう一つの甕も同じ状態でした。強度の弱い素焼きの甕を使っていたことで、小さな地震でも亀裂が入ってしまったのです。
甕を割って中を見ると、排水トラップはパイプを立ち上げ、水位をそこで確保するという粗末な工法です。パイプの出口にはコケがびっしりと詰まっていて、排水機能は失われています。しかも泥の堆積も有り、全て一から作り直しです。実は、この様な方法で作る業者が多く、欠陥だらけの工法が蔓延しているのが実情です。

  • 地震によるひび割れ、樹木根被害、排水口苔被害、泥被害
    今までの水琴窟の多くがこの様な工法で、音が鳴らなくなっている。

地中の甕の周囲は常に湿度100%です。樹木の根が水を求めて水琴窟にまとわり付きます。そこで必要となる改良点は…〔水琴窟は栗石を使わない完全密閉型の工法〕にしなければ長寿命は望めません。再び『幻の水おと』にならないために!!

そこで…業者様方に

数々の基本的なポイントや(なぜなのか?)を伝授いたします!

私は上記のような結果にならないように、特に造園業者の皆様方にご協力をお願いしたいのです。
お客様から水琴窟の工事を依頼された時、どんな甕を使ったらよいのか…? 自分流で作って、クレームが来たらどうしよう…、さまざまな不安があるはずです。本当に良いものを提供するために、貴社は地上(蹲踞)の工事を行い、私が地下の工事をします。その現場にて私が貴社に水琴窟のノウハウや重要ポイントをレクチャーすることで、貴社は今後の工事依頼にも自信を持って独り立ちできるチャンスを得ることができます。
ぜひお気軽にご相談をお願いします。   水琴窟マイスター 田村 090-83255287

*レクチャー後に同業者様の感謝のお言葉*

【千葉県のT造園土木会社 代表T様】

水琴窟完成後、代表T様からのお言葉を頂戴しました。

【こやの緑庭 代表小谷野 康太様】

  • 埼玉県行田市行田16-23 『行田八幡神社』

    その姿は見えません・・苔庭に溶け込み、水琴の澄んだ音色だけが聞こえます・・

こやの様から有難いコメントを頂戴しました。

進化する音へのこだわり

1993年に水琴窟コンサートを始めるようになってから、20回以上の公演をしています。
当初は演奏者のバックにただ水琴窟の音を増幅して流すのみでした。私と水琴窟がステージに上がって、見せるコンサートになったのは途中からのことです。

コンサートでは、ステージ用に作った移動型水琴窟(スペースサウンド)にマイクを直接入れて音を出すため、水琴窟の音は実にリアルです。
ステージにスペースサウンドをセットするときは、毎回その度に滴の落ち具合を、微妙に甕を傾けて調整しています。なぜなら、水滴を3箇所以上から落したいからです。そうすることで音に変化が生まれ、感動的に演奏と融合することが可能なのです。しかし、これが結構時間が掛かって大変。
ところがある日、ハッとひらめいたのです。そんなに大変な思いをしなくても、良い方法が分かったのです。
滴の落ちる表面を、予め3箇所以上にコブ状のものを加工しておけば良いのです。

2002年5月静岡県駿東郡長泉町 如来寺に水琴窟を製作するときのことです。
偶然、何日か前から水琴窟の様子を撮りたいとNHK静岡放送テレビが取材に訪れていました。
水琴窟の作り方を、くまなくカメラ撮りしたいとの事。今まで取材したくても、なかなかその中身を見せたがらない業者達に苦戦し、取材陣も今度こそと期待していたようです。

  • 過去には様々な甕を試したのだが…

    過去には様々な甕を試したのだが…

  • カメの加工の様子(2002年頃)

    カメの加工の様子(2002年頃)
    この頃は、常滑の素焼きも使っていたのですが…徐々に決定的欠陥が分かってきた!

  • 甕の天井の3箇所以上から滴が落ちるように加工

    甕の天井の6箇所以上から滴が落ちるように加工。これで様々な音階やランダムな‘間’が生み出される。

  • 水門加工作業

    〈水門加工・・水を操る?!この技を磨かねば、癒しの音は完成しない!〉甕は独自に設計企画した強度のある堅焼きもの以外は、使用しなくなった。(2010年以降)

音の良さは、甕(カメ)で決まる!

現状の水琴窟は、その中身の甕(カメ)といえば、たとえば田舎の家の裏庭に転がっている水甕や漬物甕などの古甕を利用して作ることが多く、近年では近隣の外国から輸入された水鉢なども安く出回っているため、それらを使う業者も少なくありません。
私も昔はそんな感じでしたが、いくつもの水琴窟を手掛けるにつれ、より余韻の長いものや、地震で壊れない硬い素材などを考慮し、焼き具合、形状、風合いなども徹底的に追求し始めました。
全国の産地を何年か費やして探し、2006年やっと答えを見つけ試作をし、何度も陶工を困らせ、理想の音を追い求めていました。

そんなある日、そのやっとたどり着いて会えた陶工が、高齢を理由に甕づくりをやめてしまいました。近頃では大物を焼く窯元が希少になり、替わりの陶工を探すのに苦労を強いられました。
しかし縁あって出会えた陶工に、以前と同じ設計で甕を作らせたのですが、これが前の物にも増して余韻が長く、音も透き通っていたのです。

土質や焼き方が変わっていないのに、なぜこんなに音が違うのか? 水門などの加工時に分かったのですが、陶器の中に、気泡が出てこないのです。要するに、粘土を練る工程で手を抜いていないということです。結果的にそれが音に現れているのです。通常の甕の使い道は、水などの液体を入れるものですから、水さえ漏れなければ甕の機能が果たせるのですが、水琴窟で重要なのは音ですから、素材が締まっていなければならないのです。
今度のは形状も出来映えも美しい。やはり腕のいい、こだわりのある貴重な職人なのです。

というわけで、私の水琴窟は10数年前から各段にすばらしい音の甕を手に入れたことで、オーナーの方々には、誰にでも自信を持って自慢出来る水琴窟の提供を可能にしたのです。

2012.05

新たな水琴窟文化をつくるために

私の本音!

日本の庭は古くから、『遠くにある風景を身近に感じたい』という思いや、更に実用的な物などを次々に取り入れて、少しずつ進歩しながら現代に文化を継承してきました。
例えば、玄関先の目隠しや装飾として使用された袖垣、枯れ山水や、池泉回遊式、蹲(つくばい)、筧(かけい)獅子脅しなども、いわばその当時の独創的な発明品だった訳です。

水琴窟でも同じことが言えます。しかし、水琴窟は『庭の一部』として登場しますが、他の作品とは少しばかり違った性質を持っているのかも知れません。
視覚と聴覚を研ぎ澄ますことのできる、過去に例のない癒しのオブジェです。滴を反響させて聴く音というのは実に奥深いものです。
地上部の蹲踞(つくばい)が見えていても、水琴窟その物はかすかな音を発するだけで、地面の下に隠れていて姿が見えない、まさに見え隠れのする日本独自のわびとさびを演出する神秘的な仕掛です。


  • 蹲踞(つくばい)

    茶室の露地に作り、茶室に招かれる前に口や手を洗い清めるためのもの。

水琴窟は、既存してあった蹲踞(つくばい)や縁先手水鉢(えんさきちょうずばち)を利用して、余った水で音も楽しむという、一石二鳥の発明品です。
しかし作り方や維持が難しいため、発明当時、それが普及したとは考えにくいのです。
ですが情報の行き渡らない時の状況で、日本の各地に作られていたことは事実ですから、当時の庭師が積極的に新しいことを取り入れて伝えようと各地に足を運んで実践したその努力には、本当に頭が下がる思いです。